防災白書は、災害対策基本法に基づき、毎年、通常国会に報告される法定白書で、防災に関する措置の概況と計画についてまとめたものです。
平成22年は6、437名の死者・行方不明者を出した1995年の阪神・淡路大震災から15周年の節目の年であり、1月17日には兵庫県内外で多くの記念式典が行われました。阪神・淡路大震災は、我が国の災害対策の転換点となり、その後、行政は多くの制度・体制等の見直しを迫られました。それと同時に、阪神・淡路大震災では、防災活動においては、行政のみならず、国民一人ひとり、地域コミュニティ、ボランティア、企業、学校など様々な主体が支え合い、役に立ち合うことの重要性を認識しました。すなわち、振り返れば、こうした様々な主体が支え合う力−いわば「新しい公共」の力の重要性を認識する契機となった災害であったといえます。
戦後最大の被害を出したこの震災では、その発災直後の段階において、地元の消防など行政の取組だけでは到底すべてに対応できるものではありませんでした。実際、倒壊した家屋の瓦礫の下から救出された人のうち、約8割が家族や近所の方々により救出されたという報告もあります。さらに、震源に近い淡路島の北淡町では、震度7を記録し壊滅的な被害を受け、多くの人が倒壊家屋の下に生き埋めとなりましたが、消防団員をはじめとする地元住民が生き埋めになった人の救助を自発的に開始し、瓦礫の下から約300名もの人を救出し、地震発生当日の午後5時には全員を救助し捜索活動を終了しました。
また、この阪神・淡路大震災には、全国各地からのべ130万人以上の人々が各種ボランティア活動に参加し、後に「ボランティア元年」とも言われるようになりました。全国各地から被災地に集まったボランティアは、救援物資の運搬、配布、瓦礫や家具等の片付け、高齢者の話し相手、子どもの遊び相手など、時とともに変化する被災地の要望に対し、柔軟な取組を行いました。
さらに、この震災においては、企業の中にも、自社の社員への支援だけでなく、多くの被災者に食料や生活必需品を供給したり、社員によるボランティアを編成して被災地に送り込んだりと、得意分野を活かした支援活動の展開が見られました。大規模災害では、他地域からの支援には時間を要するものであり、被災地の企業が有する人的・物的資源が地域に大きく貢献する。阪神・淡路大震災をきっかけに、改めて企業の社会的責任(CSR)の意識が高まり、復興段階においても、震災遺児への奨学金や教育機関への寄付を行うとともに、ボランティア休暇・休職制度を導入する企業なども見られました。